2012年1月2日月曜日

教室でうんこを漏らしたときのこと

今回は満を持して、うんこを漏らしたときのことを思い出して書きたいと思う。学校でうんこを漏らすという経験は、それが不登校の原因になりかねないという意味でも、その重大さを想像するのは難くない。でも僕は不登校にならなかった。あのときいったいどんなことがあったのか、周囲に聞いた話も参照しながら当時の出来事を記述したい。
未だに変わらないことだが、僕はお腹が弱い。すぐに下痢になってしまい、小さい頃からしょっちゅう腹痛に悩まされてきた。さすがに最近は頻度が減ったが、それはお腹が丈夫になったからというより、緊張することが少なくなったという心理的な成長(?)によるだろう。
あれは小学校に入学してからせいぜい1ヶ月ぐらいしか経っていない頃だと思う。午後の早い時間。いつものようにお腹が痛くなり、大便器で用を済ませ、すっきりしてドアを開けた途端、信じられないような悪夢が僕を襲った。今でも忘れずに覚えている。4年生の先輩たち、3人ぐらいか、ニヤニヤの表情を満面に浮かべたその顔が、「こいつ、うんこしてたよ」と言っていた。いやいや、表情が言っていただけでなく、それはきちんと音声となり、空気を振動させていた。「こいつ、うんこしてたよ」。こうして僕は、「学校でうんこをすることは恥ずかしいことである」ということを学習した。

おそらく、その事件からさらに1ヶ月後ぐらいの、4時間目の授業中だった。場所は1年1組、いつもの教室。お腹の中にたまった給食が、僕の体の中でいたずらをしはじめる。手と額に脂汗がにじむ。田崎先生や同級生の声もチョークが黒板を叩く音ももはや耳に入ってこない。自分の体と向き合い、祈るような気持ちで目をつぶる。世界が一瞬真っ暗になり、そしてまたすぐに光を取り戻した。

それから僕の中に残っている記憶といえば、近くの席の女子の「なんか臭くない?」という声と、お尻のまわりに感じた冷たさと、椅子に広がる茶色のドロドロ。それ以外は覚えていない。そして次の記憶といえば、もう先生か母親と話している場面。「どうしてトイレに行かなかったの?」と聞かれ、その理由を答えられないでいた不甲斐ない自分の姿である。
そして恐らく、翌日は普通に登校している。いじめられたような記憶もない。あっという間に日常が戻ってきた。

こんなことがどうして可能だったのだろう。それを考えることは、全国のうんこ漏らす小学生を救うことにもなるだろう。理由はいくつか考えられる。ひとつは、学校でうんこを漏らすということの事件性が、小学1年生という年齢では幼すぎて認識できなかった、という可能性。教室でうんこを漏らさない、というディシプリンが共有されていなかったのかも知れない。
しかし、物心ついたあとに母親が教えてくれたところによると、担任の田崎先生が、僕の体から出たものを「うんこ」ではなく「吐瀉物」(ゲロ)だとクラスメイトに説明し、処理してくれたとのことである。これが本当だとしたら、先生の巧みな応急処置に驚き、ただただ感謝するばかりだ。「子どもがうんこをもらしたときの対応マニュアル」みたいなものがあるのかどうかは知らないが、その後のことを考えたらそれが間違いなくベストな対応だった。
しかし、すべての同級生たちがこの「吐瀉物」説を信じたわけではないことが、なんと事件の3年後に分かる。それはもう「うんこ」のことなんて忘れていた小学4年生のときのある日の昼休み。校庭で遊んでいたら、同級生のF君から不意に、「昔、うんこ漏らしたよね?」と言われたのである。言われた瞬間、僕は奈落の底に突き落とされたような心持ちになった。どうしてF君はそのことを知っているんだろう、やっぱりあのとき、みんなは知っていたのだろうか?ついでにいえば、このF君、僕が学校のトイレの大便器の扉を開けて出くわした、ニヤニヤ顔の上級生の弟だった。だから余計に恐怖であり、今でも忘れないのだ。しかし、じゃあどうしてF君は、僕がもらした翌日にそのことを言ってこなかったのだろうか?あるいは実は言われたのだけれど、僕が覚えていないだけなのか?当時20代だった田崎先生の指導が、それだけ見事だったのか?

とにかく、この「うんこ」事件は僕の人生史にほとんど影を落とすことなく済んだ。うーん、もしかしたら、僕がこうして笑って話せるようになったのと同時に、嫌な記憶はすっきりと消去されたのかも知れない。田崎先生に会える機会があるなら、当時の対応についての感謝を伝えるとともに、実際に何が起こっていたのかをぜひ聞いてみたい(覚えていないと思うが…)。そしてもし僕が、うんこを漏らした子どもと出会ったなら、その対応を真似たいと思う。これこそ、文化の伝承というものだろう。

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