ただ、この手提げ袋については、「恐竜が好きだったんだ」という牧歌的な思い出よりも、もっと強烈な出来事とともに記憶として刻まれている。恐らく入学式の次の日だったと思うが、1年1組の教室(いや、図書室だったかも知れない)で先生の話を聞いたあと、校庭で全校集会がおこなわれることになった。いろいろ注意事項を告げられた上で、みんなで揃って昇降口へ行き、靴を履き替えて校庭に出る。入学してすぐの頃はまだ「背の順」という概念は教わっていないので、恐らく「名前の順」で整列したのだろう。それは覚えていない。
校長先生の話が始まる。顔の長いS先生という校長先生で、話がとてもおもしろかったように記憶している。僕が小学校にいる間、2年ごとに3人の校長先生に出会うことになったが、1・2年生のときに赴任していたS先生が一番好きだった。校長先生の話を聞きながら、周囲を見渡すうちに、1年生の僕はとても重要なことに気づいた。周りの人たちはみんな手ぶらなのに、僕だけがあの恐竜の手提げ袋を持ってきてしまっていたのだ。
「あれ?先生、手提げ袋を持っていくように言ってなかったっけ?」心の中で焦りはじめる。もはや校長先生の話どころではない。今考えればどうでもいいことに思えるが、周りの人たちが誰も持って来ていないものを自分だけが手にしているという状況、つまり「自分だけ間違った」という事実は、当時の僕にとっては相当辛く、受け容れがたいものだった。なんとかこの状況を切り抜けなければいけない。「お腹が痛い」と言って列から抜け出し、教室に袋を置いてくるか。うーん…でもそれも恥ずかしい。かといって、みんなに「間違っている」と思われるのは絶対に嫌だ。じゃあ、間違ったのではなくて、自分でも気づかずに手提げ袋を持って来てしまったことにすればいい。このようにして、今の僕なら「事故」という言葉をあてるであろうそんな状況を、なんとか作り出そうと努力したのである。
そして当時の僕がとった行動は、手提げ袋を足に引っ掛けるということ。足に引っかけて引きずってきたことにすれば、「間違えたのではなく、気づかずに持って来てしまった」という感じが出せるはずだ。小学校1年生の僕が必死になって考えた解決策だった。そうして実行に出るのだが、手提げ袋を持って軽くしゃがむようにし、取っ手を足に引っかけるという行為を、なるべく周りにバレないように遂行せねばならない。音を立てないようにそーっとその仕草をする。なんとなく2年生の女子が笑っているような気もする。バレたか?でも中途半端な状態にしておくわけにはいかない。なんとか作戦をやり遂げないと…
こうして恐竜の手提げ袋を足に引っ掛けることに成功した。あとはそのまま何食わぬ顔で集会をやり過ごし、終わったあとに、「何か変な感じがすると思ったら、足に手提げ袋が引っかかっていたのか。今気づいたよ」という顔をすればいいんだ。たぶん実際にそうしたと思う。いや、それどころか、わざわざ後ろに立っていた友達にその旨を伝えたかも知れない。とにかく、ほっととした感覚をもったことだけは覚えている。
そう考えると、「羞恥心」とか「世間体」というものが、必ずしも学校のヒドゥン・カリキュラムだけで形成されているのではなく、小学校に入る前から何かしらの形で身についていたことが分かる(むしろ足に引っかけるということのほうが恥ずかしいのだということを、学校で学んだ)。いずれにせよ、学校の規律と自分の行為との間に折り合いをつけるという、いかにも学校らしい初体験の思い出を、僕はあの手提げ袋の姿かたちとともに記憶しているのである。